国産ケチャップ第一号 明治29年、横浜子安村「清水屋ケチャップ」
国産第一号のケチャップの味を再現したものが発売されている。
新聞や情報誌でも紹介され、一度は食べてみたいと思っていた。かなりの長い間気になっていた物だ。
国産第一号トマトケチャップということは、原料はいわずと知れた“トマト”。
日本ではトマトはいつ頃から栽培されてきたのだろうか。
まずはそこから話の旅を始めたい。

実は横浜は西洋野菜発祥の地でもある。
長崎の限られたごくわずかの一部でしか生産されていなかった西洋野菜。
そんな西洋野菜がなぜここまで私たちの生活に身近なものになったのだろうか。

横浜開港から間もない頃、西洋野菜はすでに栽培されていたようで、当時のイギリス初代駐日総領事が当時のことを書き記しています。
キクジシャ、パセリ、キャベツ、花キャベツ、キクイモなどの生産を始めていたと記録されています。
幕府からもアメリカ麦の試験栽培が行われ、開港から3年目の1863年には横浜中区末吉町で、外国人指導者から手ほどきを受け、広大な土地にキャベツ、セロリ、ニンジン、ラディッシュ、トマト、サヤエンドウ、パセリなどの栽培が公的にも行われた。
もちろん民間の先見の明を持った一般の農家でも自主的に外国から野菜の種を仕入れ、独自に栽培していきます。
その後も外国人家庭や居留地のホテルなどでの西洋野菜の利用需要拡大を見込んで、多くの農家が栽培に踏み切り、西洋野菜は爆発的に広がっていったのです。

そんな栽培農家の一人、子安村の清水興助は、形がいびつだったり、ほんの少しの押し傷があるなど、今風にいえば「わけあり」なトマトの有効活用としてトマトケチャップを作ることに思い至った。
製造方法は、外国人スポーツクラブ「横浜アマチュア・アスレチック協会」の日本人料理人から教わり、商業的生産へと着手していった。
明治29年(1896)8月、国産初のトマトケチャップ「清水屋トマトケチャップ」の発売が開始された。これは今まで国産トマトケチャップ第一号とされていたカゴメ社よりも12年も前であるため、清水屋ケチャップは国産元祖といえるべき先陣である。

チキンライスやオムレツ、ナポリタンなどの洋食は日本人レストランや一般家庭にも広がったため、ケチャップは広く消費されるようになった。
1913年に開かれた勧業共進会で清水屋は銅賞を受賞し、宮内庁御用達ケチャップにもなった。

西洋野菜の一大産地である子安、鶴見ではあったが、大正10年頃から開発により臨海部の埋め立てが進み、次第に市街地や工場が増え、西洋野菜の生産高が次第に減っていった。
当の清水屋もそのあおりを受け原材料確保が困難にもなり、また更には代も変わり、昭和10年頃には他業種へと転業を余儀なくされた。

「季刊 横濱」2004年春号にその清水屋ケチャップが紹介され、それを読んだ横浜市内の食品会社インターフード社の丸山和俊社長が味の再現を試みる。

家族を訪ね、その当時を覚えている興助氏のお孫さんに味や材料を尋ね、試行錯誤を繰り返し、時には外国まで香辛料を探しに赴き、2007年にようやく清水屋ケチャップの味を蘇らせることに成功した。
ケチャップ瓶のラベルの現物がすでに横浜開港資料館に寄贈されていたことにより、承諾を得て、当時の味とラベルをそのままに、日本初のケチャップは再び現代に蘇ることとなった。

丸山氏が「今まで食べた中で一番美味しい」と語るトマトケチャップ。
お財布の了承を得たならばトライしてみてはいかが?
(写真・文/橋口)