確かに建物が倒壊していたり、前述の屋根の瓦落ちやなど、「地震による建物被害を受けた地域」という様子のわかる体だった。
だが、そこから10分ほど車に乗り国道6号線に出た途端に、それは急に変わった。
津波被害の現場。「このような光景が何十キロと続いているんです」と地元の人が語った言葉に、打ちのめされた気持ちがしてきました。
海岸から2キロはあろうか、それが何十キロ・・。
瓦礫と土で覆い尽くされた、この面積・・・。
あたり一面、何にもない、なんにも。
自衛隊の集合地でもある真野小学校近くの田んぼの中に何艘もの船が流されている現場を目撃しました。
海から3キロ以上も離れている田園地帯です。真野小学校は一階は使えない状態であり、復興に向けて校庭で打ち合わせをする自衛隊員に、その肩にのしかかる重責に、思いを馳せずにいられません。
港と海水浴場が一体となった街。旅館、ホテルそして民宿や民家が軒を並べる街だったはずです。それが一瞬の内に、すべてが無くなっている惨状にただただ息をのむだけでした。
岸壁の破壊された姿が、その恐ろしさを物語っています。今でもこの瓦礫の中に900人ぐらいの方が埋もれているかもしれないとのことでした。
ファインダーをのぞいていると揺れる物が見えたので望遠にしてピントを合わせると、なんと鯉のぼりが掲げてありました。
頭をハンマーで殴られたような衝撃の後だっただけに、胸にこみあげてくる、「魂の鯉のぼり」なのだと感じました。
帰り際に眼を屋根の方に向けると可愛い燕のヒナがえさを欲しそうにしていました。このヒナのように新しい明日に向けて、と念じつつ東北道を横浜に向け走り始めました。